㊗ 敬老の日の昼食 ㊗
栗赤飯、天ぷら盛り合わせ、高野豆腐・ふき・南瓜・人参の炊き合わせ、メロン
ちょっぴり豪華なお昼ご飯で、皆さん大好評でした
\(◎o◎)/!
ご利用者の皆さん、いつまでもどうぞお元気でお過ごし下さい。
これは単なる高級なコーヒーテーブルブックではない。ニコラス・フォークス(Nicholas Foulkes)氏による『Oyster Perpetual Submariner – The Watch That Unlocked The Deep(オイスター パーペチュアル サブマリーナー – 深海を切り開いた時計)』は、これまでで最も詳細にロレックスのアーカイブに迫った1冊である。正直に言うと、この本の話を最初に聞いたとき、私は懐疑的だった。スイス時計製造の象徴ともいえるロレックスは、その秘密を決して明かさない。アーカイブ情報を厳重に守ることで知られる同社が、なぜ急にそれを一般公開する決断をしたのだろうか?
今や情報の霧は晴れた。ロレックスは一挙にヴィンテージサブマリーナーに関する研究を訂正し、裏付け、さらに拡充したのである。特に注目すべきは(すでにヴィンテージロレックスのIGコミュニティで“報告”されているとおり)、これまでに製造された各ロレックス サブマリーナー リファレンスの製造推定量がこの本の索引に記載されている点だ。これは通常、ヴィンテージ製品について肯定も否定もしないロレックスにとって、まさに180度の方針転換と言えるが、これはオイスター パーペチュアル サブマリーナーの氷山の一角に過ぎない。
Rolex Submariner book
スーパーコピー 代引きこれまでの研究は、ヴィンテージコレクターたちのあいだで長い時間をかけて築かれてきたものである。既知のオリジナルウォッチのデータを集め、過去のロレックス通たちから伝えられた古い話を付け加え、常識と推測を組み合わせて結論に至っていたのだ。そしてその結論は、“コレクターコミュニティの知る限りでは…”といった但し書き付きでしか提示できなかった。
ロレックスから正式に認可されたサブマリーナーに関する確かな情報が公開されたことで、今後ロレックスのモデル(およびその秘密)に関するさらなる公式書籍が出版されることが期待される。本書はWallpaper*とロレックスが提携して出版するシリーズの第1弾であり、ニコラス・フォークス氏がすべて執筆している。サブマリーナー正史は252ページにわたるが、この記事ですべての秘密を明かすつもりはない。ここではHODINKEEの“ヴィンテージ通”が、本をめくりながら学んだ5つのことを紹介しよう。
1. サブマリーナーはエクスプローラーから生まれた
HODINKEEのReference Points: ロレックス サブマリーナー 歴代モデルを徹底解説では、“サブマリーナーの起源”に関するセクションを設けている。サブマリーナー、エクスプローラー、ターノグラフが1954年5月に、市場に同時に登場したというアイデアは、これまで“受け入れられた”ストーリーの一部であった。この文章は、過去のHODINKEEの記事を批判したり否定したりするものではなく、時計コミュニティがかつて正しいと思っていたことを示すものである。
Rolex Explorer Ref. 6150
ロレックス エクスプローラー Ref.6150
オイスター パーペチュアル サブマリーナーの最初の章では、ロレックスのアーカイブを通じて多くの一次資料が引用され、まったく異なる物語が語られている。この本によると、サブマリーナーはエクスプローラー Ref.6150から発展したという。ロレックスのディレクターであったレネ=ポール・ジャンヌレ(René-Paul Jeanneret)とロレックス ロンドン支社とのあいだで交わされた手紙には、1952年に始まった英国海軍ダイバーからの具体的なリクエストやテストに関する詳細が記されていた。また、1953年9月の日付が入ったロレックスの出荷伝票には、初期のRef.6150のモデルが、英国海軍に納入されたことが記載されている。
1954年、ダイバーからのフィードバックをもとに、ロレックス ロンドンは“海軍省との協力により製造された”特別なバージョンのRef.6150について説明している。このモデルは、より大きなダイヤル径(確認済み)と回転ベゼル(こちらも確認済み)を備えていた。(この本によると)こうしてサブマリーナーが誕生したというわけだ。
Rolex Submariner Ref. 6204
ロレックス サブマリーナー Ref.6204
2. ピースレビコフ、ノーチラス、フロッグマン、サブアクアなど、ロレックス サブマリーナーのさまざまな名前
サブマリーナー、あるいはシンプルに“サブ”と呼ばれるこの時計は、今日ではあまりにも広く知られているため、その一見不自然な言葉がどうやってロレックスのダイヤルに刻まれるようになったかについて深く考えることは少ない。これは、日付機能のみを備えた時計にデイトジャストと名付けたり、日付と曜日を表示する時計をデイデイトと呼ぶ想像力を持つ同じ会社が考え出した名前なのだ。
フォークス氏とロレックスによれば、のちに“サブマリーナー”として知られることになったこのプロジェクトは、開発中にさまざまな名前が検討された。米国では発売後にちょっとした問題に直面したこともあったという。ハンス・ウィルスドルフ(Hans Wilsdorf)は本のなかで、“フロッグマンよりもディープシー スペシャルという名前のほうがいい”と語り、また時計業界の歴史を大きく変えたかもしれない興味深い考えとして、“ノーチラスはすでに登録されているはずだ”とも語っている。
A Rolex Sub-Aqua
ロレックス サブアクア Ref.6204
イギリス海軍によるテストと並行して、ロレックスは水中写真と新興のスキューバダイビングのパイオニアであるディミトリ・レビコフ(Dimitri Rebikoff)の協力を得ていた。レビコフのサブマリーナープロジェクトへの影響はきわめて大きく、社内ではこの時計を“ピースレビコフ”と呼んでいたほどである。最終的には、1953年5月28日のロレックスのテクニカルミーティングで、ジャン・ユグナン(Jean Huguenin)が、“この時計には『サブマリーナー』という名前を付ける”と決定したとされている。
サブマリーナーが市場に出たあとも、その名称は確定していなかった。本書にはアメリカにおける知的財産権の問題が詳しく書かれており、その結果ごく短期間のみサブアクアという名前が使われた。これにより、ダイヤルにサブマリーナーではなくサブアクアと記された、非常に希少な初期モデルが存在する理由がはっきりした。
3. ベゼルから赤い三角マークが姿を消したのは、ディミトリ・レビコフのおかげである
重要な話に入る前に、いくつかの興味深いポイントを簡単に紹介しておきたい。先ほどディミトリ・レビコフについて触れたが、本書には彼とロレックスの関係についての素晴らしい情報がたくさん詰まっている。彼は現在のサブマリーナーのデザインを決定づける上で、本当に重要な役割を果たした人物だ。たとえば、1953年4月にレビコフはベゼルの12時位置にある赤い三角形が実用的ではないと指摘し、“おそらく10m下ではすでに見えなくなるだろう…白い三角形に置き換えるほうがよい”と述べている。
Rolex Submariner
ロレックス サブマリーナー Ref.6536/1
そこで“現在、ベゼルの三角形を赤ではなく真っ白に変更することを検討している”とレネ=ポール・ジャンヌレが応じた。そして比較的短期間で赤い三角形は姿を消した。
4. ターノグラフはバーゼルで大ヒットを狙っていた、忘れられた存在
ロイヤルネイビー(王立海軍)やスキューバダイビングのパイオニアが開発を進めても、サブマリーナーに対する市場の期待は低かった。本書によると、サブマリーナーはもともとニッチなプロフェッショナル向け製品と見なされていた。しかし回転ベゼルの開発が商業的な救いとなったのである。このため、ロレックスはサブマリーナーと同時にターノグラフを開発し、回転ベゼルに特化したモデルとして市場に投入した。この時計は“無限の用途を持つ時計”として売り出される予定だった。ロレックスは1954年のバーゼルフェアにてターノグラフに全力を注いだが、最終的にはサブマリーナーが勝利を収めた。
Rolex 1954
ヴィンテージ市場での経験から言えるのは、当時ターノグラフの販売数がとても少なく、そしてその希少性にもかかわらず、今日のヴィンテージロレックスコレクターにとっても売るのが難しい時計だということだ。サブマリーナーは大成功を収め、一方でターノグラフはスタートライン付近でほぼ忘れ去られてしまった。
5. 各サブマリーナーリファレンスの生産“推定数”
この本の巻末に追加された情報は、書籍の初期版を手に入れて以来、ヴィンテージロレックス界で大きな話題となっている。ロレックスがこうした数字を公開するのはきわめて異例なことであり、その重要性を強調しても足りないほどだが、HODINKEEの読者なら理解してくれているだろう。ここですべての生産数を列挙するのは、Wallpaper*やフォークス氏、そしてこの本をつくり上げた多くの人々に対して不公平に感じるため、いくつかの“重要なポイント”に絞って紹介してみよう。最初に注目すべき点として、細かい注意書きには“生産数はロレックスアーカイブのデータに基づく推定値”とあるが、詳細を確認するとこれらの数字はかなり正確に感じられる。
Rolex Submariner Ref. 6200 "King Sub"
ロレックス サブマリーナー Ref.6200 “キング・サブ”
まず最初に、ヴィンテージロレックスのコミュニティは予想がかなり的確だということだ。長年にわたり、約300本のRef.6200 “キング・サブ”が製造されたと広く信じられてきた。この数字はしばしば引き合いに出されたのは、Ref.6200が“最も希少な”モデルのひとつとされていたからだ。結果として、我々の予想は正しかった。この本によると、“推定”303本が製造されたとされている(推定といえど、303本という数字はほぼ的中している。300ではなく303本だ)。このリファレンスがすべてのなかで最も生産数が少なかったということも確認された。
興味深いのは、Ref.5513とRef.5512の生産数の差だ。これらふたつはほとんどの製造期間において姉妹リファレンスとされており、その違いは、5512がクロノメーター認定ムーブメントを搭載しているのに対し、5513は非認定キャリバーを搭載している点だ(ここでは少し簡略化して説明している。ヴィンテージロレックスファンの方、怒らないでくれ)。いずれにせよ、ムーブメントの違いを除けば両者は基本的に同じ時計だ。しかし総生産数は5513が15万1449本に対し、5512は1万7338本と推定されている。今日のヴィンテージ市場では、5512には常に5513よりも若干高いプレミアムがついているが、その希少性が9倍も高いことを反映した価格差にはなっていないのだ。
Rolex Submariner Ref. 5512
ロレックス サブマリーナー Ref.5512
『Oyster Perpetual Submariner – The Watch That Unlocked The Deep(オイスター パーペチュアル サブマリーナー – 深海を切り開いた時計)』は、英語版とフランス語版で出版されています。ハードカバー版は2024年10月1日から購入可能で、販売店情報はACC Art Booksのサイトで確認できます。限定版のシルク装丁版は、9月16日から19日までの期間にWallpaperSTORE*でのみ先行予約販売され、そのあと通常の販売が開始される予定です。
和太鼓 柿ノ木太鼓様をお招きし、8月の誕生者をお祝いしました。
迫力のある和太鼓の音に皆さん感激しました。耳だけではなくお腹にも響く音色に、昔を思い出し涙する方や最初から最後まで手拍子する方など、それぞれ楽しみました。
また途中に和太鼓を叩く体験でも、力込めて笑顔で太鼓を叩く利用者様が多く、貴重な体験となりました(^^♪//
ロレックスは、探検に同行し、危険な目に遭う可能性のある時計を3モデル提供した。ただし、ひとつ条件があった。それはエクスプローラーズクラブの会員であることだ。
マンハッタンのアッパーイーストサイドにあるエクスプローラーズクラブの本部を訪れる機会があり、巨大なホッキョクグマの剥製と1909年の北極探検で使われたソリをとおり過ぎたら、奥にある旗にぜひ注目して欲しい。ときにはほころびた、色鮮やかな布切れの数々には、驚くべき物語が隠されている。エベレスト頂上や海底、さらにはアポロの全ミッションで月面に降り立ったメンバー(アポロ11号には小型の旗が携行された)にも同行してきた旗が、ガラスの後ろに額装されている。エクスプローラーズクラブには、シルヴィア・アール博士(Dr. Sylvia Earle)、ジェームズ・ラヴェル(James Lovell)船長、ジェームズ・キャメロン(James Cameron)監督など、誰もが知っている有名人が会員として名を連ねている。クラブの図書館には、セオドア・ルーズベルト大統領の入会申込書の原本も所蔵されている(もちろん彼は入会を許可された)。
ロレックススーパーコピー代引きエクスプローラーズクラブの長年の会員であるシルヴィア・アール博士が着用する信頼のデイトジャスト。
いわゆる“フラッグ探検”は、エクスプローラーズクラブの長年の伝統である。重要な科学的または探検遠征に参加する会員は、クラブの旗の携行を申請でき、その見返りとして、探検の成果と発見に関する詳細な報告書を提出し、現地で旗の写真を1、2枚撮影することを約束する。現地に送られる旗は通常持ち回りで、例えば、エベレストの頂上を目指した旗と太平洋のマリアナ海溝の底を目指した旗は同じである。特に重要な遠征のあとや、再利用できないほどぼろぼろになった旗だけが引退し、東70番街のクラブ本部にあるガラスの奥で壁に飾られて余生を過ごす。クラブとロレックスの長年のパートナーシップの一環として考案された新しいプログラムによって、フィールドで、そしてエクスプローラーズクラブで展示されるこれらの旗にロレックスの腕時計が加わることになった。
ロレックスの不朽の名作がエクスプローラーと呼ばれるのにはワケがある。
ロレックスは何十年にもわたり、エクスプローラーズクラブのサポートパートナーを務め、イベントの開催や助成金による財政的支援に加え、エクスプローラー(当たり前だ!)、エクスプローラーII、サブマリーナーの3モデルを遠征で着用するために提供してきた。これらの時計は“ロレックス エクスペディション ウォッチプログラム”の趣旨に沿って、現在のフラッグ探検を同行する。これらの時計は、宇宙を歩いた最初のアメリカ人女性や深海に到達した最初の男性を含む選考委員会に提出された詳細な申請に基づき、価値ある探検隊に授与される(実は私はエクスプローラーズクラブのメンバーであり、この選考委員会のメンバーを兼任している)。
クラブの宴会場には25万年前のマンモスの牙が飾られている。Photo: Harrison Jacobs/Business Insider
ノルウェーの探検家トール・ヘイエルダール(Thor Heyerdahl)が、ペルーからポリネシアへのいかだ探検“コンティキ”計画に使った地球儀。Photo: Harrison Jacobs/Business Insider
最初の月面着陸の際に月へ運ばれたエクスプローラーズクラブの旗のミニチュア。Photo: Harrison
選考委員会の委員長は、長年エクスプローラーズクラブのメンバーとして活躍し、アポロ11号の月面ミッションの動力源となったF-1ロケットエンジンを発見・回収した探検隊の主催者でもあるデビッド・コンキャノン(David Concannon)氏。コンキャノン氏自身も時計愛好家のひとりである。アポロのF-1回収探検ではムーンウォッチと呼ばれる前のスピーディを、タイタニック号の潜水調査ではさまざまなロレックスの腕時計を身につけていた。彼は、ロレックスのプログラムはエクスプローラーズクラブにぴったりだと考えている。
「タイタニックの発見から、音速の壁の突破、世界の海で最も深い地点への到達に至るまで、探検における偉大な勝利の多くはロレックスの腕時計をつけたエクスプローラーズクラブのメンバーによって成し遂げられました」とコンキャノン氏は言う。「エクスプローラーズクラブはロレックスとパートナーシップを結び、これらの偉業を今後さらに達成していくことに胸を躍らせています」
エクスプローラーII、エクスプローラー、サブマリーナーはエクスペディション ウォッチプログラムの一部である。
エクスペディション ウォッチプログラムの一環として選ばれた探検リーダーは、ミッションのあいだ、後世に残すべく指定のロレックスを着用してその証拠を写真に収め、クラブに時計を返却する。ロレックスは各遠征を記念して時計の裏蓋にエングレービングを施すことで、銘板に各時計の使用履歴が記録される。旗と同様、各時計も何度かの遠征を経て、最終的にはエクスプローラーズクラブに永久展示されることになる。
山岳ではエドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)、ラインホルト・メスナー(Reinhold Messner)、エド・ヴィエスターズ(Ed Viesturs)、極地ではウィル・ステガー(Will Steger)、ウォーリー・ハーバート(Wally Herbert)、ラヌルフ・ファインズ(Ranulph Fiennes)、海洋ではキャメロン、アール博士からジャック・クストー(Jacques Cousteau)まで、数え切れない探検家たちの手首を飾ってきた。洞窟や極地の氷上、あるいは火山のクレーターにいる冒険家たちを描いたロレックスの全面広告に見覚えのない人はいないだろう。前述のヒラリー、ヴィエスタース、ステガー、ハーバート、キャメロン、アール博士など、これらの広告に登場する探検家の多くは、エクスプローラーズクラブの会員であったか、現在も会員である。
広告とはいえ、そのイメージには、最近我々が目にするものよりも、もっと本格的な真に迫ったものがあった。ロレックスはその当時の雰囲気を取り戻そうとしており、危険にさらされる者たちの相棒というブランドの歴史に焦点を当てたマーケティングの一面に再び向き合おうとしている。エクスプローラーズクラブとのパートナーシップはそうした姿勢の一環であり、その選択は納得できるものだ。自然保護パートナーシップやジャケットのワッペンに資金を提供することも重要だが、最も挑戦的で野心的で困難な試みのために実際に手首につける時計を提供することは、真のコミットメントと自信を示すものなのである。